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東京都民から佐賀県民へチェンジ!

こんにちは!

 

東京から佐賀国体に向けて、佐賀県のスポーツを盛り上げるために、佐賀県へ参りました栗原理沙(くりはら りさ)です。
競技は、陸上競技の走幅跳行っています🏃

 

 

地方の魅力の一つである、人と人とのつながりによって、株式会社ハレノヒにアスリート×広報として入社いたしました。

 

現段階では、全くわからない佐賀県ですが、陸上競技を通じて、佐賀県の雰囲気や魅力などを私自身が体感したリアルをSNSで配信し、広めていこうと思っています。

 

また、皆様がハレノヒに家族写真をお願いしたいと思えるような配信を心掛けると共に、小さな写真館が配信するSNSを通じて少しでも幸せな時間(つながり・コミュニケーション)が生まれるように頑張ります😤

 

 

競技者and広報としてまだまだ未熟すぎる私ですが、温かい目で気長に見ていただけたら、嬉しいです😊

 

ここからは、私が佐賀県にきた意図をお話しようと思います。

 

私は、昨年、大学院へ進学致しました、その理由は陸上競技をまだ続けたいと思ったからです。なぜなら、まだ陸上競技で結果を出せる可能性があるのではないか?という可能性にかけたい気持ちが強かったことに加え、大学四年生の時に、走幅跳で大学一年生ぶりの自己ベスト(6m06)を跳んだことがきっかけです。

 

昨年2020東京五輪の選考会である、日本選手権に出場することができました。日本選手権に出場するのは、高校3年生のリオ五輪の年ぶりでした。(特別な五輪の年に出場できたことは、非常にうれしかったです!)結果は、入賞は逃したものの日本のトップを争う試合に出場したことに対しての“嬉しい気持ち”דもっとうまくやれたのでは…悔しい気持ち”で、さらに、競技を高めていく原動力へ変化しました。

 

 

そのような嬉しい出来事があれば、いづれ訪れる嫌な出来事・時期は、誰にもやってくるものとわかっていましたが、気づきたくない脚の痛みに気づき、怪我だと判明してしまいました。

 

怪我に気づいてからは、2022年度である今年に向けて、昨年の8月からリハビリなどに力を入れ、なんとか気持ちを切らさずに頑張ってきました。

 

なぜなら、2022のシーズンで結果を残せなければ、自分の陸上競技は終わりにしようと考えていたからです。

 

その時!佐賀国体のお話が私のもとへ…(私にとっては、棚ぼた以上に幸運なことでした)

 

このような流れで、私は佐賀県へ参上しました!

 

序盤にもあったように、人と人とのつながり、縁に感謝をし、大事にしながら、今度は私が誰かと誰かをつなげられるように日々精進していこうと思います。

 

 

 

最後になりますが、この文章を読んでいただきありがとうございます。

 

皆さまからのご声援がいただけるような競技ができるように頑張ります。

 

 

皆さまの特別な“ハレの日” に、お会いできることを心から楽しみにしております。

                                                                                              栗原 理沙