移住と起業について〜AERA掲載を機に書いてみました〜
今発売中のAERA(朝日新聞出版・3月28日号)にハレノヒを取材していただいた記事が載っています。
その中吊り広告がこちら。
(「まるで代官山」は数人のお客様がおっしゃったコメントですのであしからず。笑)
(「佐賀」「写真館」「代官山」の文字が並ぶときっと「何だ?」って思いそうな所がさすがだなと思いました。)
さて今回のブログは、そのAERAの特集のテーマである「移住と起業」について良い機会だと思い、私がハレノヒをなぜ立ち上げることになったのか、そしてどのような考えで運営しているのかなど、その一部分だけ書かせていただきたいなと思います。
ちなみに中刷り広告で大きく見出しになっている
「田舎のくせに」がブランドを生む。
というコピーですが、実はこれ私の発言がそのまま使われていました。
「くせに」って言葉に少し違和感あるかもしれませんが、その真意については後半にして、まずは今回の取材の経緯から説明したいと思います。
<取材の経緯>
今回の取材は、アエラ編集部から問い合わせを受けた佐賀市の方からのご紹介でした。
東京から来てくださった記者さんは女性の方で、取材当日は彼女を空港まで車で迎えに行きそのまま佐賀市内をまわりながら、まず佐賀のまちのことを説明させていただきました。
中心市街地の状況や市内の人の動き、そして活性化の取り組みとリノベーションプロジェクトなど・・・
彼女の実家も地方都市らしく、シャッターが多く降りている商店街の風景については、自分の地元も同じような状況だということでした。
ただ私が移住してきた頃に比べると、ここ数年は様々な方の尽力によって、街の雰囲気は変わってきていると感じていることも伝えました。
市内の案内時間を加えると約4時間。
今回の記事は多くの情報の中、限られたページの中でうまくまとめていただいたなと思っています。さすが有名誌の記者さんです。楽しい時間をありがとうございました!
この話をいただいたとき、自分なりに「移住と起業」について客観的に考えてみたのですが、そこまで書くとかなりの長文になるので今回は割愛し、またそのことについては改めて書きたいと思います。
ただもし誰かが都会から田舎に移住しようと思った場合、今回の記事にも載っている「仕事の有無が気になる。」については確かにその通りだと思います。
でも何が目的で移住するかによってもそのあたりの意識ややり方は全然変わるとも思います。
例えば自分や家族のスローライフを目的とした移住や、明確なビジネスをするための移住、もしくはその両方もあるでしょう。
<私の起業までの経緯>
私の場合、それは起業でもスローライフでもなく、
妻の実家の家業を手伝う目的で、彼女以外誰も知り合いもいない佐賀に移住してきましたが、当時は仕事について特に考えもしなかったように思います。
基本的に楽観主義者なので、まあなんとかなるだろうなんて単純に思ってました。(要はなにも考えてなかったということです。)
しかし移住後1年でその状況は変わったのです。
奥様の実家の家業に対して全くセンスがなかった私はその仕事を離れ、東京か大阪に戻ろうとも考えた結果、佐賀で写真館さんの仕事を手伝いながら生活することになりました。
それから数年間、その写真館さんからお仕事をいただいたりして不自由のない生活をさせていただきました。
その写真館さんには本当に感謝をしています。
ただ、記事にも書いてあるように、佐賀のブライダル業界や写真館が、エンドユーザーのことを第一に考えて事業を行っているようには、正直移住した当時から思えませんでした。
(その後、日本のブライダル業界全体に同じ傾向があるのではと気がつくことになります。)
ただ誤解がないように付け加えると、ブライダルの現場で働く人は本当に皆さん一生懸命頑張ってお客様の為に努力していらっしゃいます。
もし本当に問題があるとしたら、おそらく業界の構造に問題があるのだろうと私は考えています。
(ブライダル業界と営業写真業界には共通点もあって、現状もそして今後についても個人的に懸念していることがあります。この部分については、また機会があれば持論を書かせていただきたいと思います。)
時間とお金。
当時、何不自由なく生活をさせていただいていた私は、恵まれすぎて逆に怖くなっていました。
「もしこのままこのぬるま湯にいた場合、50歳になって自分を見つめ直したとき、何も残っていない人間になってしまっているのではないか。」
そんな恐怖を感じていた自分に転機がきたのは、いまから約5年前。
様々な状況が重なり私はその写真館から離れ、ブライダル関係のサービスを行う店舗の立ち上げを行うことになりました。
その目的は、佐賀に来て感じた
「佐賀で結婚するカップルには選択肢がなさすぎる。だから選択肢を提供したい。」
そして
「カメラマンとして結婚式を見続けてきた視点と経験から、カップルにアドバイスをして、もっと良い時間を過ごしてほしい。」
そんな思いからでした。
しかし、今思うとそんな個人的な思いが厳しい現実社会に通用するはずもありません。
そこからは記事に載っていた通りです。
当時の上司にまさに「おっしゃる通り!」のことを言われてしまいました。笑
ただアエラの記事ではその時に起業を決意したことになっていますが、実際は路頭に迷い、自分を失い、それまでの人生で一番辛い時期だったような気がします。
心療内科にも行き、涙が止まらないこともありました。
「何のために恵まれた環境から離れたんだ?」
「自分は間違ってたのか?」
「なんて無力なんだ。」
と自問自答と自らを責める日々。
通帳からは残高がどんどん減っていき、来月の諸々の支払いができるかの不安・・・
そんな状況もありました。(まあその辺の不安は今も大して変わりませんが。。。笑)
<柳町フォトスタジオ構想の原点>
そんな時期に私の佐賀の恩人のアドバイスで受講した創業セミナーで、起業について考える機会ができました。
そこで考えたのが
「自分の力で今できることは何か?」
自分の強みや弱み、そして機会や脅威、世の中のニーズや問題点などなど・・・
とにかく考えに考えました。
その答えとして当時出てきたのが、
・自分がお客さんとして行きたいと思えるスタジオが周辺にない。
そして
・自分自身がカメラマンとしてサービスを提供できるスタジオを持っていない。
それがハレノヒ柳町フォトスタジオ構想の出発点であり、起業を決意した時です。
「自分が消費者の立場で考えた時にどう思うか?」
移住直後にブライダル業界に対して感じたことと同じ感覚を、
今度は写真館やカメラマン、つまり自分自身に向けてみたのです。
(ちなみに「自分がお客さんとしていきたいと思えるスタジオがない。」という部分で余談ですが、地方ではその地域で「◯◯といえば誰(どこ)?」という問いに対してその座が空いている場合が多いように移住した当初から感じています。
そして人口の少ない地方都市ではその◯◯に収まることが、もしかしたら都会より比較的しやすいかもしれません。5年前の私の場合、◯◯にはブライダルカメラマンと入れてみた記憶があります。)
そしてスタジオを作るべく物件を探すと、幸運にもちょうど佐賀市柳町のリノベーションプロジェクトの募集があり、プレゼンの結果入居させていただけることになったのです。
<写真館とは何か?をとにかく考える>
入居することが決まってからスタジオが完成するまで、1年半の準備期間がありました。
その期間はとにかく「そのスタジオで何ができるか?」をひたすら考える日々でした。
必要な投資として遠方まで勉強をしにも行きました。
そのことを考えるにあたって、一番明確にしなければいけなかったのが
「いままでの写真館の問題点、そしてこれからの写真館の役割と機能と可能性は?」です。
この辺りは3月24日に発刊する、スタジオがある柳町を深く掘り下げた168ページに渡る「柳町本」の中でも少し書かれていますので、ブログでは割愛させていただきます。
よかったら手に入れてくださいね。
<余白と選択肢>
とにかく考えた日々はあっという間に過ぎ、スタジオは2015年に完成しました。
築100年の古民家をリノベーションしたスタジオの出来栄えはとても素晴らしく、設計を担当した東京R不動産が特集されたテレビ東京の人気番組「カンブリア宮殿」でも放映していただきました。
その後も、NHKの全国放送や有名カメラ雑誌など、数々のテレビやラジオ、雑誌や新聞で取り上げていただいたおかげもあって、認知が広がりお客様の来店も増えるようになりました。
開業前にハレノヒを利用するお客様像をペルソナという手法で想定はしていましたが、それがアエラの記事にも載っていた「都会の生活を経験した人」です。
「自分がお客さんとして行きたいと思えるスタジオが佐賀にない。」という、私と同じ感覚の人が佐賀にも多くいるのでは?というオープン前の仮説が、実際に来店されたお客様と話をしていて実感できたのです。
その多くが東京を始めとする都会で生活をしていたことがあったり、文化に触れたことのあるお客様でした。
「佐賀での生活には満足しているが、たまには都会的なものに触れたい。」
まさにニーズの「余白」が存在していたと言えるでしょう。
そして記事に書いてあるように、写真館の「選択肢」の一つとして地域のユーザーに提示できたのではないかと思っています。
余白にフィットすることができた後は、新しいものへの不安も解消されたのか徐々に地元に根付いた方も来てくださるようになりました。
これは本当に嬉しいことでした。
ちなみに「余白」と「選択肢」には自分なりに、もう少し意味と思いがあります。
ニーズの「余白」にいた人はもしかしたら、「既存の写真館のサービスを受けない。」という選択をしているかもしれません。
であれば、余白を少しでも埋めることで写真館を利用するユーザーの分母を増やしたい。という思いです。
また「選択肢」については、記事にもあった競争原理が働いていないのでは?という部分への思い。
本来、世の中の全ての商品・サービスはお客様のために存在し、提供する側が日々精進を重ね、切磋琢磨し、結果選ばれるのが筋だと思っています。
だからハレノヒがオープンしたことで、少しでも業界の刺激となって、技術やサービスの底上げがなされるのであれば、利用するユーザーにとって幸せなことなのではないかと思っています。
なぜならカメラマンは人間であり、一人で同時に何人ものお客様を撮影することはできないわけで、私はより多くのユーザーに努力を重ねたプロのカメラマンを利用したことで幸せな写真を残して欲しいと願っているからです。
選択肢を増やし分母を増やすことと、業界内が切磋琢磨すること。この二つは少なくとも今後写真業界が存続していくために重要なことだと思っています。
<「田舎のくせに」がブランドを生む。>
ようやくここで冒頭の
「田舎のくせに」がブランドを生む。
のことに話は移ります。
物理的なスタジオが出来る前、私は商売として「写真館」ではなく「スタジオ」を作ると周りに言っていました。
なぜなら、今思うと本当に情けない話なのですが、
当時何を隠そう私自身が「写真館」をダサいものとして認識していたからだと思います。
(「ハレノヒ柳町フォトスタジオ」が「写真館ハレノヒ」ではないのは、語呂もありますがその名残でもあります。)
しかしその考えが変わったのは「写真館」とその存在についてとことん考えたからです。
写真館の素晴らしさと可能性に気がついたあと、私は自らの事業を「写真館」と言うようにしました。(写真館の素晴らしさや可能性についてはまたいつかゆっくりと。)
しかし、あるとき職業を聞かれて「写真館」というと、一瞬引かれた気がしたのです。
また出席した異業種交流会の席でも「写真館」というと、途端に興味を示さなくなる人もいました。
私自身が以前イメージしていたように、世間では写真館の写真はファッションや広告写真と違って、古臭い、カッコ悪い、または商業的な写真は撮れないカメラマンというイメージがあるのだろうと思います。
でも現在、写真館の価値と可能性を確信している私は、そのイメージを変えるチャレンジをしようと思っています。
そのイメージを変えるひとつのツールとして考えたのが、まさにハレノヒ柳町フォトスタジオそのものなのです。
最近では、「仕事は写真館です。」と伝えた後スタジオの写真を見せるようにしています。
写真を見せると反応が変わっていくことを実感したからです。
無機質で古臭い写真館のイメージから大きく異なっているハレノヒの古民家リノベーションスタジオは、興味を引くのに十分なインパクトがありました。
以前なら全く興味を示さなかったであろう人も、私の話を聞いてくれるようになりました。
「写真館のくせにおしゃれ」「(自分がイメージしていた古臭い)写真館と違う」というギャップが価値を生んだのです。
そして私はそれを佐賀という土地にも応用できると考えました。
よく県外に行くのですが、会った人にどこから来たかと尋ねられ「佐賀」と答えると、これまた微妙な顔をされることがたまにあります。
その上、仕事は「写真館」(笑)。
きっとその人の中では「田舎で古臭い写真館をやってる人なんだろうな。」というイメージなのでしょう。
でもそこでスタジオを見せると、やはり反応が変わります。
それがAERAの記事にある「田舎のくせに」の真意です。
(ブログの始めに「佐賀」「写真館」「代官山」が並んだコピーがさすがAERAと言ったのはまさにこのことです。)
どんなに素晴らしいコンテンツや考えを持っていようとも、人に話を聞いてもらえなければ何も生まれません。
そこで「田舎」や「古臭い」など、対都会だとコンプレックスになりそうなイメージを逆手に取ったのです。
そしてそのイメージのギャップを使い、
「まさか田舎にこんなものが?」
という都会の人の心理をうまく利用して興味を持ってもらうのです。
興味を持ってもらえれば今まで見向きもしなかった人もだんだん話を聞いてくれるようになってくれます。
その状態まで一瞬で持っていく方法の一つが、ビジュアルの力なのではないかと思っています。
当然のことですが、それが活用できるのは話を聞いてもらえる状態まで。
そこからはそのヒト・モノなどの価値自体が問われるようになるのは言うまでもありません。
なので、ハレノヒは今後真価が問われるようになるでしょう。
(そこはサービスを提供している者の責任として頑張ります。)
<私が移住と起業で思うこと>
今回、考えていることや実践していることの一部しか紹介できませんでしたが、「移住と起業」がテーマなのでもう少しだけそこについて。
まず地方で商売すること。
多分大変なことなのだと思います。
人口でいうと私が商売をしている佐賀市は約23.5万人です。
それに比べ東京は23区だけで926万人、
面積は佐賀の1.5倍程度ありますが人口はおよそ40倍です。
周辺の県から出勤や通学で人が集まってくることを考えると、ターゲットとなる人が佐賀の何倍になるか私には見当がつきません。
ちなみに、
横浜市は面積はほぼ同じで、人口はおよそ16倍。
大阪市は面積が半分で、人口は11倍。
お隣の福岡市は面積0.8倍で、人口は約7倍です。
でもやり方によっては記事にもあるように起業は面白いと思っています。
それが先に書いた「余白」を見つけることや「◯◯といえば誰?」に収まることが、方法の一つだと思います。
そして起業自体について。
正直、起業は大変です。
(まあ私に商売センスがないということもありますが。。。)
私に関しては現在スローライフはおろか、以前働いていた時に比べ収入は数分の1、一方働く時間は数倍です。労働者だったら訴訟もののレベル(笑)。
でも、幸福度は数倍になったと感じています。
多分それはきっと自分ができることで、世の中を少しでも明るくできるチャンスがあると信じているからなんだと思います。
きっとこれからも辛いことが沢山あると思いますが、できる限りやってみたいと思っています。
ちなみに、ハレノヒが目指していることは柳町本に一部書いているのでチェックしてみてくださいね。
そして最後に。
今回AERAという有名な週刊誌にお話を書いていただけるという機会をいただきまして、関係者の皆様にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
(またそれをきっかけにこのブログも書くことができました。)
そしてこのブログを最後まで読んで頂いた方へ伝えたいこと
私が移住後起業した、この写真館という仕事はとても素晴らしい仕事です。
そして写真館というものが今後担うことができる可能性もたくさんあります。
これを機にみなさんの住むまちの写真館というものに興味を持っていただけると嬉しいです。
またハレノヒがある佐賀は土地も人も素晴らしく、可能性を秘めています。
佐賀にもよかったら遊びに来てください。
私は写真館という仕事を通じて、
地域の人も佐賀も日本も世界も幸せになってもらえたらとても嬉しいです。
長文&乱文にもかかわらず読んでいただき、ありがとうございました。
「過去が未来を変えるのではなく、未来が過去を変えるのだ。」
私が準備時期に紹介いただいて読んだ本の一節で、とても気に入ってる言葉。
今後ともハレノヒをよろしくお願いいたします。
ハレノヒ 笠原